伊原六花(イハラリッカ)は2017年(高校3年生)登美丘高校時代にダンス部で披露したバブリーダンスで準優勝し有名になり、スカウトされて芸能界に入りました。
井原六花という字を書くと思っている人もいるようですが、正しくは伊原六花です。
現在、朝ドラ「ブギウギ」で、梅丸少女歌劇団の中でダンスがとても上手な後輩役で、中途半端に練習している先輩には容赦なく物申す強気な役を演じています。
髪も切って、ショートカットがかわいいと話題です。
朝ドラ出演は、広瀬すず主演の「なつぞら」で森田桃代役としてデビューし、「ブギウギ」では2回目の出演と大活躍です。
「ブギウギ」もそうですが、ドラマ版の「チア☆ダン」にも出演していて、ダンスに関わるお仕事も増えています。
デビューしてから、ドラマや映画、CMと話題作にも出演してきましたが、伊原六花が芸能界のデビューのきっかけとなった高校時代(ダンス部)について詳しく紹介します。
しっかり者のキャプテンとしてみんなを引っ張る伊原六花にも、大会での大失敗の経験もあるようです。
また、ダンス部に入部するまでの小学生・中学生時代の子役時代についても紹介しています。
最後まで、お読みいただけると嬉しいです。
伊原六花のデビューまでや人柄について知ることで、より楽しく朝ドラ「ブギウギ」も見れるようになるでしょう。
伊原六花(中学時代)が憧れた高校のレベル・特徴・評判は?
伊原六花(いはらりっか)が通っていたのは、共学の大阪府立登美丘高校になります。
1924年の開校なのでもうすぐ100年の歴史ある府立高校です。
登美丘高校は模試によっても変わりますが、偏差値57〜59の中堅校レベルの高校になります。
偏差値57〜59というと上位18.40%〜24.2%になり、4人〜5人に1人合格するレベルです。
中学生だった伊原六花は、担任の先生に紹介されたYouTubeを見たことがきっかけで登美丘高校に進学しダンス部に入ろうと思ったそうです。
登美丘高校のダンスはミュージカルっぽくて、ロックやヒップホップではなかったことに心惹かれたそうで、やはり、伊原六花の原点はミュージカルなのですね。
しかし、登美丘高校に合格するには、点数が全然たりず、そこから猛勉強して入学したそうです。
進路相談している時担任の先生が「ダンスが盛んな高校があるけれど」と紹介してくれたのが登美丘高校。ヒップホップやロックではなくミュージカルぽいダンスだったのでこれだと思った
受験はみんなが努力している世界なので、ちょっと努力したくらいで順位は変わりません。
点数が全然足りていないところからのスタートを考えると相当努力したのでしょう。
舞台も歌も、ダンスも習ってきた伊原六花にとって、色々な方向性がある中で高校時代をダンスに捧げたのには登美丘高校ダンス部に憧れさせる相当なインパクトがあったのでしょう。
登美丘高校ダンス部の成績は以下になります。
●全国高校ダンス部選手権(DCC)
2017年・2018年・2020年優勝
●ダンススタジアム(高校ダンス全国大会)
2015年・2016年優勝
●マイナビ・ハイダン
2016年・2019年優勝
伊原六花が高校に入学したのは2015年なので、登美丘高校のダンス部が強い時期に入部したことになりますね。
バブリーダンスが生まれた意外な理由とは?
伊原六花は「かっこいい」から「見ている人を楽しませたい」気持ちが強くなって、披露されたのが登美丘高校の名前が広く世間に知れ渡ったバブリーダンスだと語っています。
しかし、実は伊原六花が高3年の時のダンス部の総力は初心者も多く、これまでのようなダンスができないだろうと下手さを隠すためにアカネさんが考えた方向転換だったようです。
方向転換のおかげで優勝はできなかったものの反響は凄まじく、YouTubeの最も注目されたトップトレンドランキング1位、ミュージックステーションや紅白にまで出演しました。
ダンスは技術的な部分はもちろん大切ですが、見ている人に繰り返し見たいと思わせる作品の影響や演者の表現力も大きいですね。
伊原六花もそうですが、バブリーダンスで人生が変わった生徒も多いのではないでしょうか。
人生を変えるほどの作品や人(講師)に会えることは、人生の中でなかなか無いので、貴重な経験ですね。
伊原六花のダンスづけの高校生活!好きな食べ物はサツマイモ?
伊原六花の高校生活は入部したダンス部が強豪校だっただけに、ダンスづけの毎日だったようです。
朝練1時間に放課後3時間以上の練習に加え、昼休みに40分の練習時間をとるためにお昼は早弁して授業間の休み時間に済ませていました。
夏休みなどの大会前は13時間練習していて、まさにストイックに青春をダンスに費やした日々でした。
当然、お腹もすくので1日5食は食べていたそうですが、それでも、スタイルをキープできているので、それだけ運動量が多かったということでしょう。
当時好きだったのは、かすうどんといって、大阪のB級グルメで、「かす」がのっているうどんです。
「かす」とはホルモンから油をとったあとの残りかすになりますが、コラーゲンたっぷりで低脂肪なのに高たんぱく、女性に嬉しい栄養素がたっぷり含まれています。
先輩への挨拶は先回りしてすることや、座る姿勢など、強豪校だけに厳しかった部分もあったようですが、あかねさんを喜ばせたい一心で過ごしていたようです。
因みに、今、伊原六花は毎日食べるほどサツマイモが好物で、なんと5種類の焼き芋をどの種類か当てられるほどです。
「肝臓を奪われた妻」の宣伝でZIP!に出演時も
「川越はお芋も聖地。サツマイモパフェたべに行かないと!」
とサツマイモ愛について語っていました。
埼玉県川越はパフェだけでなく、プリンにチップス、かき氷、バームクーヘン、ソフトクリーム、シュークリームとサツマイモを使ったスイーツで有名ですよね。
なんと、スイーツだけでなくサツマイモの焼きおにぎりもあるほどなので、伊原六花さんが聖地というのもわかりますね。
個人的には、いも恋がおすすめです。
疲れているときに癒されるやさしい甘さは定期的に食べたくなります。
伊原六花の高校時代の失敗談は?キャプテンで怖かった?
伊原六花(いはらりっか)は高校3年生のとき、ダンス部のキャプテンになりました。
キャプテンとはダンスリーダーのことで、コーチと先輩、同期のみんなの投票によって決まります。
キャプテンの役割はコーチとの間にたって、練習内容を決めてスケジュールを立てたり、コーチがいない時にはコーチの代わりに前に立ってみんなに指示する役割です。
時には、動画でダンスの様子を撮って、ずれている部分に丸をつけてLINEで送ったりもしていたようです。
キャプテンになるにはダンスの実力はもちろん、伊原六花の強気でやりたいことのためには努力をおしまない姿に信頼があったと想像できます。
伊原六花本人も、けっこう細かい部分までキャプテンとして言っていて、なめられたらいけないという思いもあったようで、後輩には怖い先輩と思われていたのではと語っています。
厳しい口調の映像も残っていますが、それくらいでないと強豪校のキャプテンとして、100人近くいる部員をまとめて、引っ張っていくことは難しいでしょう。
伊原六花の思いは、これまでのしっかりしたキャプテン像と自分は違うから、とにかく、楽しくできて、みんなの話を聞こうと心がけていたそうです。
コーチのあかねさんの伊原六花のキャプテンとしての印象は、最低限、このレベルまでは引き上げたいという思いがあるからストイックで怖かった印象だったようです。
また、伊原六花のインタビューへの対応力は、何の経験もない子が大人としっかり話ができていてすごいな〜と思っていたそうです。
一方、同級生は怖い印象はなかったみたいで、本人、コーチ、同級生と同じ姿を見ているはずなのに、見る人によって印象が違うのはおもしろいですね。
登美丘高校では、ダンス部の選抜メンバーに選ばれるのは約100人中35人、選ばれてもテストで赤点をとったら部活はできなくなってしまいます。
キャプテンとして大人数を引っ張っていくためにも、絶対に選抜には選ばれないといけないし、赤点もとれない、強いダンス部を継承していくプレッシャーは計り知れません。
そんなしっかりしている伊原六花にも、大会での失敗談があります。
全国大会に行けるかどうかがかかっている近畿予選で、みんな緊張している様子を見て、
「他の人はいいから自分のやらなあかんことだけをちゃんとやろう!」
とみんなに励ましの声をかけていました。
しかし、伊原六花は自分が出るタイミングではない時に、袖からひょっこり登場してしまい、ゆっくり引っ込むという失敗が映像に残されています。
全国大会がかかっていて、みんなを鼓舞していたため、本人にとっては大失敗かもしれませんが、いつも、堂々している伊原六花だけに、ギャップがとてもかわいらしい失敗談です。
そんなかっこいいのに、ちょっと抜けている姿は、高校時代に男女問わず、後輩からも、もてていた要因の1つでしょう。
伊原六花の高校時代のダンス部の同級生との絆!仲は良かった?
伊原六花の代はとにかく、みんなが言いたいことを言って、よくもめていた代みたいです。
しかし、腹を割って話せていたからこそ、今は仲がとてもよく、伊原六花自身も今の活躍は同期やあかねさんに見てもらえるのが一番嬉しいようですね。
同期の仲間も留学した人もいますし、ダンスを続けている人もいて、卒業して離れていてもお互いの姿に刺激し合える仲間ができたことは貴重な財産になっていることでしょう。
高校時代は悔しさも嬉しさも、同じ方向を向いて戦える仲間もダンスから得たので、伊原六花の人生において、ダンスはなくてはならないものですね。
「結果より過程が大事」
と伊原六花が語ると、ありきたりな言葉なのに重みがあり、バブリーダンスは準優勝以上の価値ある結果であることがわかりますね。
やはり、経験から発せられる言葉には重みがあります。
目標に向かって真剣に取り組んできたから、同期が同志という大切な存在に変わり、そこで得た経験がこれから先の人生に素敵な影響を与えていくのでしょう。
伊原六花の中学・小学時代はどんな子だった?バレエは何歳から?
4歳からバレエを始め、小2で友達が演じる姿を見てミュージカルに興味をもち、歌やダンスの習い事をしながら、本名林沙耶で高1の途中まで子役として芸能活動しています。
「人ができることは自分にもできる」
と芸能活動をスタートしていて、小学校低学年にして既に芯の強さや負けず嫌いな性格が感じられますね。
ミュージカルに通い始めたきっかけは地元のワークショップに元劇団四季のメンバーが来て開催されたミュージカル教室だったそうです。
その後、伊原六花はミュージカルクラブに放課後に1時間半の道のりを1人で電車で3年間通い、ミュージカル女優の夢を抱いたほど影響を受けました。
元劇団四季のオーラや演技力、パワーは人の人生を変えるほどの相当インパクトがあったと想像できます。
伊原六花は昔から見て感動し、心を動かされたものに、真っすぐ進んでいる女優さんですね。
その他にも、水泳や軟式テニスの習い事もしていて、スポーツも好きな活発な少女だったこともイメージできるでしょう。
中学時代の伊原六花は学校で部活に所属していませんでしたが、劇団アークスに所属し、ダンススクールに通っていたり、オーディションを受けたりしています。
ブギウギで伊原六花が踊りを披露しているのを見ると、4歳からの習い事などが全て今に繋がっていますね。
中学時代はクラスをまとめるのも好きで学級委員をしていたようで、小さな頃からリーダー気質だったんですね。
「ブギウギ」だけでなく「マイ・セカンド・アオハル」では、桂山キイナという小悪魔的な学生役を演じたり、「わが心の大阪メロディー」では今田耕司と司会を務め、歌も披露しています。
「どんな役でも演じられる役者になりたい」
と宮崎あおいに憧れる井原六花らしく、ドラマに映画、歌、CM、司会と多岐にわたって大活躍中です。
伊原六花のこれからが、ますます楽しみですね。
「伊原六花の国籍は?結婚観は父・母ゆずり!実家について!」は以下をご覧ください。
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