宇野千代(うのちよ)さんをモデルとした朝ドラ『ブラッサム』が、2026年秋より放送されることが決定しました。
石橋静河さんが宇野千代さん役を演じ、周りを囲むキャストは渡部篤郎さんや松本穂香さん、木竜麻生さんと今から楽しみですね。
宇野千代さんは、小説家や着物デザイナーなど他にも多くの分野で活躍してきた方です。
まさに、日本における、自立した女性の先駆者的存在!
98歳の亡くなる直前まで執筆し、生涯現役を貫きました。
そんな宇野千代さんは、多くの人の心を打つ素晴らしい名言を残しています。
そこで、この記事では、宇野千代さんの若い頃から名言まで調べた情報をまとめてみました。
ぜひ、最後までお楽しみください。
宇野千代の若い頃の生い立ちを紹介!
宇野千代(うのちよ)さんは、山口県岩国市で生まれ育ちました。
実家の家系が昔からの酒造家でしたが、父・宇野俊次(うのとしつぐ)さんが遊び人で家計は
困窮していたそうです。
父親は一度も働いたことがなかったので、家族は苦労したでしょうね。
宇野千代さんは1〜2歳の頃に実母・トモさんが病気で亡くなってしまいます。
宇野千代の義母はかなり若い?親子関係を紹介!
宇野千代(うのちよ)さんの父は実母が亡くなった翌年に再婚しました。
なんと、継母・リュウさんは、宇野千代さんと12歳差だったと言われています。
かなり若い奥さんですね。
のちに宇野千代さんが書いた長編小説『おはん』のモデルが、この継母・リュウさんだったと言われています。
宇野千代さんには5人の異母弟妹がいて、よく面倒を見てしっかり者だったとか。
とても温かい人なのですね。
宇野千代さんは父のいいつけで14歳で最初の結婚をしましたが、10日ほどで実家に帰ってしまいました。
昔は現代と違って、本当に結婚年齢が早いですよね。
現代だと14歳はまだまだ子供なので、大変だっただろうなと思います。
そんな宇野千代を、継母・リュウさんは温かく迎え優しくしてくれました。
宇野千代にとって継母・リュウさんは、実母そのものだったのでしょう。
宇野千代と父親の関係?
宇野千代(うのちよ)さんの父親は遊び人で博打好きだったので、家は貧しかったそうです。
加えて絶対的な権力をふりかざし、時には家族に手をあげることもありました。
宇野千代さんにとって、父親は大事な人だけど心の休まる相手ではなかったのではないでしょうか。
父親は宇野千代さんが16歳の時に病死してしまいます。
その時、宇野千代さんは悲しさと同時に解放感を感じました。
きっと自由を手に入れたと感じたのでしょうね。
宇野千代はその後文学にのめりこみ、女学校を出て教員として働き始めます。
ここから宇野千代さんの恋愛遍歴が始まっていきます。
宇野千代は熱愛相手によって美貌が変わる?20代の同性相手は?
宇野千代(うのちよ)さんは若い頃から圧倒的な美貌で、とてもモテた方です。
そして熱愛相手によって、その美貌はどんどん変化していきました。
20代の時に尾崎士郎(おざきしろう)さんと出会い、同棲をし始めた頃の写真がネット上に残っています。
この頃は東京に出てきたばかりで、おっとりした雰囲気を持っていました。
着物も髪型もごく普通で、幸せそうな雰囲気がにじみでています。
お互いに新人作家として、デビューしたばかりでした。
宇野千代さんはまだ、磨かれてない原石という感じです。
その後、別れた時の写真を見ると、幸せそうな時の艶やかさが失われていました。
宇野千代さんは尾崎士郎さんとは離婚したくなかったと言います。
当時の写真に、宇野千代さんの心のうちが表れていたのでしょう。
宇野千代が30代で受けた恋人の影響とは?
1930年頃に宇野千代(うのちよ)さんにできた恋人は、東郷青児(とうごうせいじ)さんでした。
この時、宇野千代さんは33歳。
東郷青児さんは日本を代表する美人画の画家であり、宇野千代さんはかなり影響を受けたでしょう。
宇野千代さんはこの頃から、とってもおしゃれになっていっています。
髪の毛を男性のように短く刈り上げセットした装いや、モダンな雰囲気に変化していきます。
東郷青児さんとは4年ほど付き合ってお別れし、結婚はしませんでした。
宇野千代の40代で結婚した夫は10歳年下?
宇野千代(うのちよ)さんが42歳の時には、作家で32歳の北原武夫さんと結婚。
この時代で10歳年下の男性と結婚するのは、スゴイですよね。
2人の結婚式の写真をネット上で見ることができますが、宇野千代さんのウエディングドレスがとっても素敵でした。
1941年(宇野千代さんが44歳)の時、夫婦で中国の紫禁城前で撮った写真があります。
宇野千代さんはワンピースを着て帽子を斜めにかぶり、貫禄があってカッコよかったです。
まるで、安定した幸せを表しているかのようでした。
宇野千代さんが立ち上げた雑誌『スタイル』に北原武夫さんも携わっていたので、夫婦でファッションリーダーのような立ち位置だったでしょう。
1964年(宇野千代さん67歳)の時、宇野千代(うのちよ)さんは離婚します。
雑誌『スタイル』の倒産時にできた借金が、返済し終わった時でした。
北原武夫さんが一番長く結婚生活を続けた相手でしたが、別れた時はそれほど悲しいという気持ちではなかったそうです。
宇野千代さんが離婚した翌年の写真を見ると、凛とした佇まいの姿がありました。
宇野千代の若い頃は美人?名言からみる美人の定義?
宇野千代(うのちよ)さんは、若い頃からその美貌でたくさんの男性を虜にしてきました。
お化粧をして教員で働いていた時は、その美貌に見とれた男性たちからの誘いが絶えなかったとか。
宇野千代さんは、昭和の時代に流行った「モダンガール」の象徴的存在。
断髪し洋装し、流行の最先端を着こなしていました。
男性だけでなく、女性からも支持を受けていました。
宇野千代さんの美しさは、過去に残した
「どんな人も美しくなれるし、才能を持っているのよ。
自分は美しい、才能があると、そう思うことが大事です。」
という名言からも真の美人である証拠が伺えます。
真の美人とは、自分を信じる心の美しさがある人のことなのでしょう。
宇野千代(うのちよ)さんは、他にも素晴らしい名言を残しているので、紹介していきます。
宇野千代の名言「幸福編」
「自分が不幸が好きなときは不幸だし、幸福が好きなときは幸福だ。」
こちらは宇野千代さんの著書『幸福は幸福を呼ぶ』からの言葉です。
自分が幸福を選べる立場にいると気付かせてくれる名言です。
この本を読んで、衝撃を受けた方もいるのではないでしょうか。
宇野千代さんも現実的に生きていく上で大変なことがたくさんあったと思いますが、前を見
て生きてきた強さを感じますね。
宇野千代の名言「行動編」
「言葉に出せばその通りになる」
こちらは宇野千代(うのちよ)さんの著書『行動することが生きることである』からの名言です。
宇野千代さんの超ポジティブ思考が感じられる名言ですよね。
どんな大変なことがあっても常に行動し続けることで道を切り開いてきた宇野千代さん。
くよくよするのが嫌いな性格がわかります。
感傷に浸っていると不幸な方に流されやすくなりますよね。
普段口に出している言葉や思考が人生を作っています。
幸せをつかむためには、ポジティブな言葉を積極的に出していくことが大事なのだということなのでしょう。
ポジティブな言葉を出すことは、最も大事な行動の一つですね。
宇野千代の名言「恋愛編」
「追いかけてはいけない。追いかけないのが恋愛の武士道である」
宇野千代さん著書の『恋愛作法』よりの名言です。
数々の恋愛を経験してきた宇野千代さんなので、説得力がありますね。
こちらは相手が嫌がっているのに追いかけてはいけない、ということらしいです。
確かに、好きじゃない相手から追いかけられると嫌になってしまいますよね。
かつて宇野千代さんは教員時代にフラれた男性の元へ、出刃包丁を持って押しかけたことがあります。
当然突き飛ばされてフラれてしまったそうです。
この経験も、名言に生かされているのかもしれませんね。
まとめ:宇野千代の生き方を名言からみる
宇野千代(うのちよ)さんの名言の数々には、世代を超えて参考になるものばかりです。
これまで様々な経験をしてきた方だからこそ、真実味があります。
宇野千代さんはとても有名な作家ですが、様々な苦難を乗り越えてきました。
しかし、宇野千代さんは自分のことをかわいそうだと思ったことがないのです。
宇野千代さんは常に過去に執着せず、悪いことを考えずに常に行動してきました。
いつも、楽しんで現実的に生きてきたので、たくさんの名言を発信できたのでしょう。
何か迷いが出てきた時には、ぜひ宇野千代さんの名言を一つでも思い出して頂けたらと思います。
力が入って疲れている時の、息抜きになるかもしれません。
生涯現役だった宇野千代さんのように、私たちも人生を楽しんでいきたいですね。

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